ぞうのふでばこ
by marippeセンセ
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旅の記憶?5/17
5月17日  帰国の途に
しっかり朝食をとる。今回のツアーのホテルの朝食はどこもとても充実していた。ヨーグルト、フレッシュジュース、何種類ものパン・チーズ・ハム、卵料理、ホテルによってはケーキ、フルーツは生のオレンジ・林檎、シロップ付けのチェリー、杏、洋梨、フレーバーティー、紅茶、コーヒー・・・食いしん坊にはたまらない。ずっと昔に行ったパリやアテネよりずっといい。
そして・・・空港へ。荷物が重いのは缶ビールのせい?でも4本しか買ってない。もっと買うべきだった。スーツケースはすかすかだ。土産足りてるのか今になって不安。私って買い物下手。

さて問題だぞ、アリタリア。今日はまともに飛ぶかしら??
あんたのおかげでツアー初日の予定がいきなり狂って、ミラノ・マルペンサ空港に5時間足止め。最初はリムジンバスに乗った所を降ろされて1時間遅れの知らせ、次にシートベルトを絞めたのにやはり機体整備に不安が見られるからと降ろされて・・・結局その日の内にプラハに行けず、翌日の航空券を確保して33人分の部屋のあるホテルを探して空港を出たのが夜中の0時半、部屋に入ったのが1時過ぎ、それから姪に連絡をして・・・だって公衆電話からかけるのはややこしいし、はっきりした予定が決まらなければ連絡仕様がないし。電話を取ってくれたので予定変更を伝えてようやく就寝は2時半。5時半にモーニングコール、朝食の後7時に出発、空港へ。
9時35分発の予定がやっぱり遅れて20分遅れでようやくプラハに着いた時には思わず拍手!

それだからブダペスト発が30分遅れても誰も文句は言わず。それなのになんとミラノ発は定刻どおり、関空着は30分早くと、日本人向けに日本での時間だけは厳密なのかしら???
ともあれ旅は終わりを告げ皆笑顔でそれぞれの街、福岡や京都や滋賀や姫路や大阪や・・・へ帰って行ったのでした。

ハプニングはあったものの往復共に長時間飛行は窓際だった事、日本ではまだ上映されていない映画「プレステージ」が日本語訳で見られた事、見ていなかった映画が4つも見られた事、姪が自分の足の太さは私に似てしまったからだと嘆かれた事、機内サービスのドリンクを自分で後尾バンケットまで取りに行くというアリタリアならではのサービスを受けた事。
でも最大の収穫は性格の違う相手との旅も楽しかった事。

それにしても、まっすぐ高松に帰った友のバスが交通渋滞に巻き込まれ1時間も帰宅が遅れたのは、とんでもないおまけでありました。

以上、旅の報告でした。読んで下さりありがとうございました。
旅の記憶?5/16
5月16日  ブダペスト
英雄広場で集合写真。やっぱり来たか、まあ、たまには買ってもいいかって太っ腹だなあ、私。邪魔にならぬよう即ち目立つよう前列に座る。

聖イシュトバン大聖堂(天井画、ステンドグラスが美しい)、市民公園、漁夫の砦、マーチャーシュ教会〈イスラムの建物を改築したらしくややエキゾチックな雰囲気が残る〉と名所を押さえつつブダ地区ペスト地区をめぐる。天井画を見上げ、モニュメントのてっぺんの像を見上げ、首が痛いったらありゃあしない。皆さん、サロンパスは必需品かも。首に貼って寝て下さい。
パプリカたっぷりのグヤーシュスープとポークとポテトとバターライスの昼食の後はフリータイム。ぶらぶら歩いて中央市場へ。
古い駅舎のような建物がそのまま市場になっていて、地下には現地通貨〈1フォリント=0.75円〉のみのスーパーマーケット。1階にはやはり現地通貨のみの八百屋、肉屋、チーズ屋などなど見ていて飽きない。2階にはユーロもドルもOKの土産物屋と飲食店。ハンガリーでのお土産はここがお奨め!しっかり値切って遊びましょう。ただスーパーの値段の表示には注意。量り売りのものは価格がつかめず、現地通貨が足りず迷惑をかけてしまいました。レジのおばちゃん、ごめんなさい。

トカジワインやらパンやらを買いこんでイシュトバーン大聖堂の展望エレベーターに乗りに戻ったら、残念5時で終わりで上がれず。またまた詰めの甘いことでありました。高い所にすぐ行きたがる私に、実はやや高所恐怖症と打ち明けた友よ、知ってたら無理強いはしなかったのに。

ホテルへは各自で帰ることになっていたので、地下鉄に乗って。切符を買って歩いてたら通路で係員のおばちゃんが何やら文句を言ってきた。どうやら通り抜けてきたホールに立っていた直径20センチ高さ1m程の赤いポールに切符を差し込み刻印しなければならないらしい。それが改札で、おばちゃんたちは切符の刻印をチェックする駅員さんだったのだ。どこにもゲートの無い駅なんて初めてだ。所変われば、だよなあ。

さて、最後の夜の今夜こそはルームパーティー!私が取っておいた機内食のチーズ、私がもらっておいた朝食バイキングのオレンジ、買って来たパンやお菓子、友の買っていたアーモンド、それにハンガリー名物のトカジワイン!しっかり食べて喋っていい気分になって。
それから私だけがオプショナルの夜景クルーズに出発。友は賑やかな私からしばし解放されて荷造りにいそしむと言う。ツアー仲間の半数ほどがバスで川岸へ。船は貸切。2ドリンク付なので、最初はワイン、続けてコーヒーをいただく。
前夜の雨で少し気温が下がりやや肌寒いけれど、波もない穏やかな川面をゆっくり船は動く。この街の夜景は、けばけばしいネオンはないしカラフルな点滅もない。オレンジ色の光のみだけれどライトアップされた教会や昼間に行ったいろんな場所が美しく川面に映え、後ろ髪を引かれる思いで、でも皆笑顔で船を下りたのでした。

*薀蓄・・・ハプスブルグ家を最大勢力に育てた女帝、マリア・テレジアの4代後の孫、フランツ=ヨーゼフの妻が欧州最高の美女エリザベート〈愛称シシィ〉、夫との仲はよかったのに、本当はその姉と結婚させたかった姑との相性は最悪で大半をハンガリーの城に逃げていた。足首までの豊かな黒髪、ウエスト50cm、慎重172cm、体重50kgを死ぬまでキープした。死因はテロリストによる殺害!
シェーンブルン宮殿には、シシィ愛用の体重計とトレーニング用具がありました。
旅の記憶?5/15
5月15日  ウイーン?ブダペスト
13世紀にハンガリーの首都だったという町、エステルゴムの大聖堂を見学。のどかな田園風景の静かな街。これまで見たどの街もそうだけれど、教会を中心にオレンジ色の屋根が寄り添う集落が緑の中に点在する風景は本当に美しい。
賑やかなのは揚げ雲雀、城壁に巣を作るツバメたち。ここは既にハンガリー、ドナウをはさんだ対岸はスロバキア。二つの国は無理やり結婚させられて円満離婚をしたらしい。お昼を食べた石造りのレストラン、傍の広場に立っていた市では街よりもはるかに安く同じ刺繍製品を売っていたことが後で判明。もっと買っておけば良かったよお。
ドナウが90度流れを変えるという展望台で小休憩した後、次の街センテンドレへ。
刺繍製品とワインとニット製品とパプリカと、それからどこの街にもあるエスニック風の雑貨屋さん。「バロックの珠玉の街」との歌い文句ほどではないけれど、ブダペストまで20kmのこの町は丁度良い中継地点なんだろう。川べりに下りてしばしぼおっとする。
白ワインのボトルの中にさらに小さな赤ワインの入った葡萄の房の形のガラスが仕込まれた華奢なボトルを発見。素敵だけれど、手荷物には出来ないしスーツケースでは危険かなあ・・・と、未練残しつつバスに乗る。
次第に空が曇ってきた、天気予報どおりなら雨なんだけれど・・・
ホテルに近づく頃いきなりの雷雨。おおっ!協会の尖塔に光る稲妻が美しい!ファンタスティック!!
幸い小雨になったものの強風の中をレストランへ。

うふ、私の目的地の一つだ。踊れるかなあ。黒いワンピースの下にハンガリーの半そでブラウス着込んできたおバカな私。
見覚えのあるプリーツたっぷりのスカートにカロチャ刺繍のブラウス、エプロン、ベスト、1式日本で買うと10万円近くするんだよなあ。きっと。
結論を言うとほんの10秒だけ出演できました。前列で目をきらきらさせて見ていたから引っ張り出してくれたんだろう。足をキックしながらターンを数回、でも満足。
チャルダッシュ、羊飼いの鞭を鳴らしながらの勇壮なダンス。ワインボトルを頭に載せて回転する女性のダンス。
それにしてもバイオリンの人、チップを露骨に欲しがりすぎ。渡さなくってもいいのにって、ガイドさん、それを先に言ってよね。動けないチェンバロ奏者が気の毒だけど後で山分けするのかなあ。
外に出ると雨は上がり、バスはおまけの夜景ツアーに。小高い丘から見下ろす景色は世界遺産の一つ。川面にライトアップされた橋が美しく耀いていました。

*薀蓄・・・赤い刺繍の衣装は35才まで、それ以上は紫/青など地味な色に変わるんだって。私のは赤・・だって買った頃はそうだったんだもん。
旅の記憶?5/14
5月14日  ウイーン市内
目覚めてカーテンを開けると中庭の池に鴨が泳いでいる。ホテル・ピラミッドはとても広大。庭も含めると2200?もあるらしい。今日も上天気。日焼け止めを塗りこんでいざ出発!

ハプスブルグ家の象徴、クリーム色のシェーンブルン宮殿は40室を見学するグランドツアー。鏡の間、壁も扉も黒漆に金彩の中国図柄で飾られた漆の間は分けても見事。天井画見上げてきょろきょろしてばかりで首が痛い!たくさんの伊万里焼、東洋からの贈り物の調度品。広大な庭の一部ではサウンド・オブ・ミュージックの撮影が行われたと言う。この庭で栗鼠を見かけたと同行のおばちゃんが喜んでいた。ちょっとしたプレゼントが嬉しいのも旅ならでは。

オペラ座の本日の演目は世界のセイジ・オザワ指揮する「さまよえるオランダ人」。その舞台設営中の内部見学に。日本語、イスパニア、チャイニーズ、いろんな言語毎に分かれての1時間ツアーは見ごたえあり。
われわれのツアーのうちの1組はこのオペラが目的で来ていたのには驚き。母の日の娘さんからお母さんへのプレゼントだって。立派!

ヨハン・シュトラウスは金ぴかの像。真っ白なモーツアルトの像の前のト音記号形のベゴニアの赤い植え込みがきれい。でも・・見てしまった・・・台座の裏側。マリー・アントワネットの前でピアノを弾く幼いモーツアルトの目玉が赤く塗られて睫毛が落書きされていた・・・!
月曜日なので行きたかった美術館は休みで残念と思いきや、一番見たかったクリムト「接吻」を展示するヴェルベデーレ宮殿は4月から無休になったとの事。電車に乗って4つ目で降りて・・・広大な庭園と池とに挟まれた宮殿の2階に目的の正方形の絵画がありました。他にもクリムト作品が10点ほど。盛り上がった金彩、ピンクと緑を帯びた透きとおるような白い肌に浮き出る血管、極端に精緻な女性の瞳と咲き乱れる花のラフな描写の対比。間近に見ることが出来て良かった。

ザッハトルテをザッハホテルで食べるという目的もあっさりクリアー。味はイマイチという評判のせいかなあ、全然混んでいなかった。確かに味は・・ややもっさりしててもっと美味しいチョコレートケーキは他にあるらしいので、お好きな方はそちらへどうぞ。
そうこうしている内にフリータイムは終了。まだ明るい街をホテルへ戻り、ホテル近くのスーパーで夕食の買い出しをして部屋でパーティ、という計画はスーパー閉店時間のためあっさり頓挫。う?ん、詰めが甘い!バーでワインを1杯飲みつつ反省。あっ、ここのバーテンダーはカルロス・ゴーンそっくりさん。でも彼はゴーンさんを知ってるかしら??
旅の記憶?5/13
5月13日  プラハ?ウイーン
「嗚呼五月仏蘭西の野は火の色す君もコクリコわれもコクリコ」(コクリコは赤い芥子の花)と詠ったのは与謝野晶子。鉄幹を追って欧州に渡り共に旅をした、んだよね、確か。菜の花畑と芥子の咲く野と牧草地の広がるなだらかな丘陵地帯を走るバス。対向車は少ない。
プラハからウイーンへの途中(170km地点)に立ち寄ったチェスキー・クルムロフの古城の案内人は完璧な大阪弁。彼によるとここへは大阪城〈のキーホルダー付〉の鍵で入って江戸城の鍵で出なくてはならないらしい。
更に270km走ってようやくバスは夕刻のウイーンに。時刻は7時。ウイーンの森のホイリゲ(ワインの新酒を飲ませるレストラン)ではルーマニアとギリシアの曲をリクエストして一人で勝手に踊ってしまった。顰蹙買うから止めといてと友には釘を刺されたが無理な話。パートナーが必要なダンスは無理だからソロで踊れるのを。ツアーの一部のおじさんたちと同席のアメリカからのツアー客には大受けで、おばちゃんたちは帰るとき私にハグしてくれました。1杯付いてくるグラスワインはマグカップ入り。でっかーい!おいしーい!
旅の記憶?5/12
2007/5月12日  プラハ
ホテルに着くと姪が待っていてくれた。去年の秋からここに留学して英語を学んでいる彼女に会うことが今回の旅の目的の一つ。今日はツアー一行とは別行動、日本を発つ前に離団届けを提出しておいた。彼女の留学はもう来週で終わり。その後パリを回ってから帰国するとの事でやたら忙しそうだけれど、とにかくお任せ。
プラハは町並みそのものが世界遺産。百塔の街と呼ばれるだけあって、映画「モーツアルト」撮影に使われた石畳の道や広場の至る所に教会の塔が聳え立つ、実に美しい街であった。今まで見た中で一番きれいと多くのツアー仲間が讃えていた、ここに丸1日も居られないのは残念。
プラハ城から街を見下ろし、細い坂道を下って広場へ。放射状にも碁盤上にもなっていない街はせっせと付いて行かないとたちまち迷子になりそうだ。
今日は「プラハの春」と呼ばれる音楽祭の初日。音楽ホールではスメタナの「モルダウ」が演奏されるという。おまけに市民マラソンまであって人出が常より多いらしい。トラム(路面電車)も路線の臨時変更がなされ思うように動けないとぼやく姪。とりあえず食事をと川沿いのレストランへ。ここはクレープが美味しいらしい。勧められるままにホットベリーソースのクレープと噂のチェコビールという取り合わせで乾杯!チェコ語はマスターしたからOKと心強いことを言ってくれるから下手な英語は今日は封印。マラソンの一群が窓の外を走る。川向こうにプラハ城が聳える。天気は上々、青い空にたくさんの塔が耀いている。
☆ここで薀蓄・・・モルダウ川の現地での呼び名はプラタヴァ川です。
20分ほど歩いて彼女の大学へ。(途中キュビズム建築の有名な建物があった。)なんと煉瓦積みのアーチ型の城門をくぐり坂道を登り教会の建つ丘の上へ。その古い教会自体がキャンパスだという。大学は町の随所にあるというのでよく聞けば、街中の建物の2階に映像学科、別の建物の一角に工学科という風に分かれているらしい。
友達に会ってくるからここで待ってと言われた場所は教会の墓地。キリスト像、十字架、辿って行くと花輪をたくさん供えている白い塔があった。よく見ると「スメタナ」の名が。プラハの春の初日だからこそ出会えた光景、得した気分である。
風が大空を吹き渡る、樹のそよぐ音、鳥の声、群れ咲くタンポポ、白いデイジー、と、突然「こんにちは」の声、坊主頭に日本のお坊さんの格好をした男子学生が!今日は大学の「日チェコ友好フェスティバル」で彼は太鼓を叩いたのだと言う。その近くには女子学生がいて、手作りの豆腐と豆味噌を勧められ試食させていただいた。
違う道筋で坂を下りトラムで街へ戻る。今夜の演奏会のためにドレスアップした女性も数人見かけた。カフカも一時住んでいたというユダヤ人街のシナゴーク、正時にはからくり人形が顔を出すという天文時計などを見て夕食に。プラハ城は人が多すぎて入城はあきらめる。
バイオリンとアコーディオンの生演奏を聴きながら、ポークやにんにくスープやハムの盛り合わせなどつつきながら赤ワイン。いい気分だなあ。ようやく空が暗くなってきた。午後9時過ぎ。
公園で酔いを冷ましつつおしゃべりし、タクシー拾ってホテルへ。当地の講演会でサインしてもらったと言う村上春樹の文庫本を日本へ持って帰るようにと託され、3人でまたまたおしゃべりしてから姪はトラムでアパートへ帰って行った。来月にはまた会えるね。
長い長い旅の一日はこうして終わったのでした。
ただいま
正味1週間の旅が終わった。
長かった。くたびれた。でも楽しかった。
好奇心の塊の私と、クールで団体行動を乱さない友人と。随分はらはらさせたけれど、最後まで見捨てないでくれて有難う。

印象に残った事をまずは列記。
空から見た百舌古墳群、瀬戸の島々。
雪を被ったアルプスの山々、プラハの街並みの美しさ、姪が8ヶ月の留学でチェコ語を喋れるようになっていた事、行った日が「プラハの春」の初日で案内された墓地のスメタナのお墓に捧げられていた色とりどりの花束。汗ばむような陽気の中、ひときわ青い空に輝いていた教会の尖塔、街に響く鐘の音、9時ごろまで明るいサマータイム。熱いベリーソースのかかった美味しいクレープ。古城の中の大学キャンパス。
シェーンブルン宮殿の豪華な部屋の数々、とりわけ鏡の間、壁や扉や調度品がすべて漆の見事な部屋。
ウイーンの森のホイリゲ(新しいワインを飲ませるレストラン)で、ルーマニアとギリシアの演奏をしてもらって1人で踊って同席のアメリカ人に大うけした事。
ザッハホテルのザッハトルテ(味は・・・)、ホテルのバーで白ワイン1杯で片言英語でのバーテンダーとのお喋り。
国境を越えるバスでの検問。
一面の菜の花畑、コクリコの火の様に赤い花、タンポポ、ヒナ菊、スミレ、紫の色濃き薄きライラック、ピンクや白のマロニエ、葉裏を白くそよがせるハンカチの木、切られることのない柳の巨木、護岸を工事されていない川や池。道端のコウノトリ、池の鴨、城壁に巣を作るつばめ。
ハンガリーのカロチヤ刺繍の色鮮やかさ。
連日の快晴。ブダペストの空を切り裂く稲妻。
 
よろしければ日々の記録にもお目通しください。写真もそのうちアップする予定です。


GO ABROAD!
韓国より遠くに行くのは何年ぶりだろう。パスポートを更新して明後日から中欧3カ国ツアー!(10年前のパスポート写真はこれまでの人生の中で最高の一枚、誰が見ても別人みたくかわいいと言う・・・それにおさらばするのが悲しかったけど現実を受け入れて進むのだ、ぐすん)
プラハ、ウイーン.ブダペスト、各2泊、6泊8日とはいえ、最終日は午前中に関空着、海外はこれだからもったいない。
プラハでは留学中の姪が一日案内してくれるという。

ウイーンでの自由行動は月曜日。主だった美術館はほとんど休館日、クリムトが・・・エゴン・シーレが・・・

それにしても大陸内の移動はすべてバス。1日に400キロ以上移動するなんて・・・ツアーの半分はバスだよと、この冬に娘に会いに行った兄が言っていたっけ。仕方が無いけど・・・

団体行動を乱すのはお手の物だけど
今回はおとなしくしてせいぜい私なりに楽しんできます。
小津安二郎
初めてでした。ビデオ以外で小津監督作品を見たのは。
小さなスクリーンだったけど、「こども映画館」と銘打ったイベントで、映写機の説明や、映画技師の犯してはいけないタブー、をわざと見せてくれる試みにひきつづき、1959年のカラー作品「お早よう」の上映会。

カメラの視点が縦に移動しないってのは本当なんだ。東京言葉が小気味よく飛び交う。「いなせ」って言葉を思う。
ストーリー自体に特に大きな起伏があるわけではない。
 
  昭和30年代の東京近郊の新しい住宅地。いわゆる「文化住宅」が立ち並ぶ川沿いの一角。家の暮らし向きが一目瞭然のご近所付き合いをこなす奥さん方。
  テレビがほしくてたまらないのに、隣に見にいけば叱られる兄弟。テレビなんか無駄だと言う厳格な父親に反発した、中学生と小学生の兄弟は「大人たちの会話こそ無駄の塊だ。意味もなく、お早う、いいお天気ですね、こんばんは、あらあらそれは、なんて喋ってるじゃないか」と反発。だんまりストライキを決行する。思いのほか頑固な二人はご飯も食べずにだんまりを続け、空腹のあまり、おひつと薬缶を台所から持ち出し、川原で食べる。それを見かけたおまわりさんから逃げた二人は、夜になっても家に帰らない。
  結局、街頭テレビに夢中になっていたところを英語塾の先生に見つかって送り届けられた家に・・・近所の旦那さんの就職祝いに月賦で買ってあげたナショナルテレビのダンボールの箱が!

 時代の空気が濃密で、無駄だらけのような大人の会話が実は生活の潤滑油で。ありきたりの挨拶でも心が通い合うこともある。そんな巧みな映画でした。

何よりすごいのは登場人物。
佐田啓二、東野栄治郎、笠智衆、杉村春子、沢村貞子、三宅邦子、久我美子・・
今はなき名優がずらり。それだけでも得をした。

こども向きの企画だったが、集まったのは昔子供ばかり。でも中に混じった少年が、映写機のスタートボタンを押し、将来俳優になりたいと言ってくれた。夢がこの場でまた膨らんだとのこと。

しなくちゃいけないことは山積みだけれど、こういう空気も必要だ。結構充実した日々である。


 
うるわしき5月
うるわしき5月、寺山は「5月に生まれた」とそれさえも自分の特質にしようとした。それがあまりに強烈だったから後の者は同じ言葉を使えない。ちょっとずるくない?

ともあれ、
さくらんぼが今年もたくさん実をつけてくれた、ありがとう。
住宅街の午後は静か。近所の工事中の豪邸にも今日は誰もいない。
斜め向かいの奥さんと3ヶ月ぶりくらいに話をした。豪邸が隣に立ったおかげで、テレビが映らない。ケーブルテレビとNHKが結託して年金暮らしの夫婦から余計なお金をせしめ取る・・・愚痴に付き合う野は苦手だけれど、今日のお天気に免じて我慢をしよう。

さて、脚立を出して塀に立てかけ、重いオシリを持ち上げて足をかけ立ち上がる。視線が高くなる、気持ちいい!!
お友達と二人でおしゃべりしながら実を採っていく。朱く熟れた実が緑の葉陰にたわわに実る、高いところほど赤い色が鮮やかにきらめいている。
大塚愛の歌じゃないけど、二つに銃の付け根がくっついていてかわいい。いくつも固まっている中に、ことさら赤い実とまだ黄色い実が混じる。
おませなさくらんぼ。おくてなさくらんぼ。大きい子、小さい子、フェンスに邪魔されて小さくなっている子。いろんな子がいてそれもかわいい。私はどの子だろう?ってのはむりがあるかな♪

友達が帰った後、もう一度、今度は家の外から脚立をかけてさらに高い所の実に手を伸ばす。塀の内側、ラジカセからはコブクロのCD。

実をもいでいくと、すっかり軽くなった枝がふわっと立ち上がる。待って、その枝の上の方、まだまだ実が残ってるのに・・・
すべて収穫できるはずはない。毎年こうだもの。鳥もあまりやっては来ない。猫がいるからか、実もえさも豊富な季節だからか、もったいない。せめて鳥が来てついばんだ実がぽとりと排泄されてそこいら中に実のなる桜が生えてきたら5月の景色がさらにうるわしくなるのに。

通りかかったら誰かれなく分けてあげたいのだけれど、毎年つむのは連休の頃。誰もいない、通らない。電話をかけても留守じゃなあ。

採りすぎた実はすぐ痛む。思い切ってジャムにする。問題は種。鍋で煮詰めながらあくと一緒に掬い取るけど、何しろ小さな実の半分は種。掬い取るのはすごい根気が要るのだ。だから種入りジャム。種は土の上に捨てて下さい。さくらんぼの木が5月の空をいっそう輝かせますように。



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